mactan島

なんだか元気のない日本。
その元凶は少子高齢化社会になったから。
それに比べて元気のあるフィリピン。
子供は宝です。

「スクランブル化」の現実味

「NHKから国民を守る党」が、本気でNHKを激変させてしまう可能性
「スクランブル化」の現実味
 
 7月21日に投開票された参議院選挙は争点がよくわからないまま、盛り上がらずに終わった。吉本興業の騒動の方がよほど話題になり、人びとの興味を集めている。いかがなものかと思うが、それが現実だ。私自身も、選挙より吉本騒動の行方をずっと熱心に追っていた。


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 今回の選挙では「れいわ新選組」が「台風の目」と言われて2議席を獲得した。もうひとつ、私たちが直視しなければならないのは「NHKから国民を守る党(=N国)」が政党要件を満たしたということだ。


  同党は「台風の目」とまでは言えないが、真夏にドカドカ降る雹のような、突然の異常気象的な存在だ。彼らが議席を獲得したことは、異常現象が常態化したようなものである。選挙そのものを馬鹿にしたような政党が、国政の場へ正式に参加すると思うと、なんと不気味なことかと感じる。


  選挙後、様々なメディアが、彼らの戦略の巧妙さを伝えている。


  各選挙区に送り込んだ37名もの候補者は、当選する期待をみじんも抱いていなかったという。多数の候補者を立てて、NHKの電波を堂々と使って「NHKをぶっ壊す!」と言わせ、その映像をYouTubeにアップし拡散させる――それが目的だったのだ。


  その「成果」というべきか、断片的にでも、彼らの奇天烈な政見放送を目にした有権者は多かった。そして面白半分なのか本気なのかわからない票を選挙区で3.02%も獲得し、政党交付金を受け取る資格を手にした。


  党首の立花孝志氏は、4月の統一地方選で多くの自治体で議席を獲得したのも、それにより得た議員報酬を集め、国政選挙に打って出る資金にするためだと悪びれもせず言っている。その図々しさには呆れるしかない。


  その上、「戦争発言」で日本維新の会を除名された丸山穂高衆議院議員を入党させた。さらに渡辺喜美参議院議員にも共闘を呼びかけ新たな会派を設立する動きも報じられている。斜め上をいく戦術を次々に繰り出し、すっかり注目を浴びる存在になってしまった。


そんなN国党の派手な動きに対して、NHKもよせばいいのに応じてしまった。「受信料と公共放送についてご理解いただくために」という文書を公開したのだが、ようするにN国党の主張に対し凄んでいるのだ。売られた喧嘩を買うような文書で、みっともないったらない。自分たちのイメージを悪くするだけなのがわからないのか、と情けなく感じた。 さて、ここで私は政党としての彼らが今後国政に与える影響を書きたいのではない。彼らの議席が自民党の改憲案に寄与しかねないのはおぞましいが、ここではちょっと置いておきたい。


  私が気になるのは、彼らの躍進から考える今後のNHKのことだ。彼らの動きが、NHKに対する世論に影響するかもしれない。その可能性を書いてみたい。


  「NHKをぶっ潰す!」と過激に叫ぶわりには、彼らの主張の核は「NHKの放送にスクランブルをかけるべきだ」というものだ。現在の「テレビ放送を受信できる機器を持つ世帯は受信料を払う」というルールを、「見たい人だけお金を払ってスクランブルを外す」というものに変えたいというのだ。それがかなえばNHKの存続自体は認めるわけで、実際には「潰す」ことを目指しているわけではない。


  だが現行の放送法におけるNHKのあり方からすると、スクランブルをかけるのはありえない。そのことはさっそく、石田真敏総務大臣はじめ政治家たちがアナウンスしている。同大臣は「スクランブル化は民放とNHKの二元体制を損ないかねない」と語ったそうだ。


  いまの放送法においては、NHKは公共放送であり、受信可能な国民は公平に受信料を負担すべし、という考え方だ。スクランブル化すればWOWOWのような有料放送と同じになってしまい「公共性」が失われてしまうので、ありえないのだ。


ネットでも受信料は取れるのか
 
 ところでNHKは、直近の放送法改正によって「常時同時配信」に取り組むことになった。ようするにネットでテレビ放送と同じ内容を視聴できるようにするのだ。2020年3月までにはスタートすると聞く。


  どう見ても東京オリンピックを意識しての動きで、半世紀に一度の一大イベントをいつでもどこでも見られるようにしようというものだ。もちろん、オリンピック終了後も継続する。つまり、来年からNHKは放送でも通信でも視聴可能になるのだ。


  そのことをNHKは経営計画の中で「公共放送から公共メディアへ」というスローガンで表現している。


  ただ、一部の人びとが心配するような「ネットでも受信料を取る」ことは、今回の新しい放送法に則っても不可能だ。


  NHKの「本来業務」はあくまで放送であり、同時配信を含めてネットでの番組配信は「補完業務」と位置づけられている。割ける予算も収入全体の2.5%に限定されている。これは総務省主催の「放送をめぐる諸課題に関する検討会」での合意事項だ。民放側から、同時配信を認める代わりにこの制約を約束させられた。今後も守り続けるかどうかは、どうもはっきりしないのだが。


  NHKのネット事業は、まだそういう段階だ。一歩足を踏み入れることは決まったものの、「補完業務」の域は出ないし、ましてやそこから受信料を取ることはありえない。


  だがどう見ても、NHKは「次の段階」としてネットでも受信料を取ることを考えているはずだ。というのも、NHKはここ数年強烈な危機感を隠していない。若い世代が見てくれないのだ。
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NHKが直面する「パラドックス」
 
 視聴率ランキングを見ると、NHKからも朝ドラや大河ドラマ、ニュース番組などがランクインしている。だがそれは世帯視聴率の話であり、数が多い高齢世帯が見ている番組が高く出やすい。


  NHKでは数年前から59歳以下に絞った「個人視聴率」によるランキングを出し、局内で共有してきたと聞く。そのランキングでは、NHKの番組は100位までに3つしか入っておらず、朝ドラと「あさイチ」そして「おかあさんといっしょ」だけ。NHKの番組はよく見られている印象があるが、現役世代に絞るとほとんど見られていないのだ。


  強みのはずの選挙番組も、いつもNHKが視聴率トップだが、これも実は高齢者を除くと1位ではなくなる。「大事な時はNHK」というのも、あくまで高齢者に限った話なのだ。


  現在の放送法の「放送の受信機器を持っている人から取る」という考え方だと、NHKの未来は先細りする一方である。テレビを持たない若者が増えているからだ。だからこそNHKは近い将来、ネットでも受信料を取りたいと考えているはずだ。


  さてここからこの議論は、大いなる「パラドックス」に入り込むことになる。


  NHKは公共放送だから、受信できる機器を持つ人は受信料を払う、というのが現行ルールだ。そして来年から常時同時配信がスタートした際には、テレビ放送の受信料を払っている世帯に限ってネットでも見られるようにする。


  具体的には、いまBSでやっているように、画面に「受信料を払ってください」という文字が覆いかぶさり番組を完全には視聴できない状態にするらしい。これも「公共放送であるNHKが、補完業務として同時配信を行う」という考え方に沿ったやり方だ。問題はないだろう。


  では次のステップとして、テレビを持たない人からも、ネットで受信料を取ろうとする場合を考えてみよう。


  放送と同じように「受信可能な機器を持つ人」から料金を取るのは現実的だろうか。簡単にいうとPCやスマホを持つ人から受信料を取ることになる。


  ……冗談じゃない! と大反論が起きるだろう。本当に、暴動が起きかねないと思う。放送と同じように「受信可能な機器を持っているから料金を取る」という理屈は、ネットでは成立しない。


  つまり、ネット配信のみの受信料を徴収しようとすると、NHKはスクランブル化するしかなくなるのだ。「ネット受信料」を払った人は、スクランブルを解除する。払わない人はスクランブルがかかって見ることができない。そうするしかないと思う。


  ……ということは、少なくともネットでは「NHKから国民を守る党」の主張が通ってしまうのだ。


NHKの主張は「机上の空論」
 
 テレビ受像機はテレビ放送を見るための機器であり、「テレビは見るが、NHKだけは絶対に見ない生活」というのはかなり無理がある。だから「公共放送」というしくみがかろうじて成立した(いや、自分は絶対にNHKを見ない! という人もいるとは思うが)。


  だが、スマホやPCには様々な用途がある。NHKがネット経由でも見られるようになったからというだけで、そこから「受信料」を取ろうというのはかなり無理がある。NHKのためにスマホを持ってるんじゃない! と多くの人が言うはずだ。


  つまり、「ネットの世界での公共メディア」なんてある意味、机上の空論だと私は思うのだ。


  NHKはこのパラドックスに、いずれ直面せざるを得なかった。「N国」が存在感を示したことによって、少し早く浮き彫りになったのだ。彼らの主張が、NHKが抱える矛盾を露呈させてくれた。


  この矛盾を解決するには、「機器を持っているかどうか」ではなく「日本国民なら受信料を払う」という仕組みにせざるを得ないだろう。だが、これを制度にするには文字通り国民的な議論が必要になる。「NHKは不要だ」と主張する人びとも巻き込んで話し合うしかない。NHKとは何なのか、はっきりさせるべき時が来るはずだ。


  私は、国民として支払う、という制度もありだと思う。実際、海外の公共放送は機器の所持にかかわらず払う方向に進んでいるようだ。


  だが同時に、いまのNHKの経営体制のまま国民全員が払うようにするのは反対だ。


  現在のNHKの体制は、政治からの圧力を受けやすい。筆者はここ数年、放送と政治の関係を取材してきたが、NHKには明らかに政権与党、とくに官邸からの圧力がかかっている。
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真の「公共メディア」にするために
 
 私の高校時代の同級生である元NHK記者の相澤冬樹は、森友問題でスクープをものにしたとたん、記者から外され退職した。状況証拠しかないが、彼の人事には官邸からの圧力があったことが推測できる。そうじゃなくてもNHKの職員とディープな話をすると、多くの人が「官邸からの圧力の存在」を口にする。


  ただ、何から何までチェックされ、すべて言われるがままというわけでもない。ふだんは内部の自主性が発揮されているが、政権に関わる「あるライン」を超えると強い圧力がやってくるようだ。


  政治からの圧力に弱い放送局を「公共メディア」として認めることはできない。ということは、NHKの受信料を国民みんなが負担するためには、NHKのしくみを変える必要があるのだ。


  今のように首相が事実上指名した経営委員(一般企業でいう取締役の立場)が物事を決済したり、国会で予算を承認するような、つまり事実上与党にお財布を握られている制度で、受信料を国民全員で負担するなどあり得ないだろう。「国営メディア」ではなく「公共メディア」と名乗るからには、国会や政権と完全に切り離された存在となるべきだ。


  政権に対しても十分なチェックが働くようなシステムのもとで、NHK=公共メディアを再構築する必要がある。難しい議論だが、そこを乗り越えないとNHKの未来はないと私は思う。


  「N国」が政党として正式に登場したおかげで、こういう議論が進むかもしれない。彼らのやり方は無茶苦茶だし、政治を舐めたような言動は時に腹立たしいが、折しもNHKの同時配信が始まるタイミングで彼らが出てきた意義は大きい。


  NHKがこれからどんな存在になるかは、この国の言論のあり方にも深く関わる問題だ。「N国」がもたらした議論を生かし、現実の制度設計に落とし込む必要があるだろう。
境 治

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